お見舞い申し上げます。
震災から幾日か経ちましたが、被害状況をテレビで見るたびに胸が痛みます。この土~月曜日まで持病のSLE治療で専門病院通院のため神戸に行っておりましたが、各所で募金活動を行っていました。まさご家からも気持ちばかりですが主人とともに募金をしてまいりました。
この土日用にいつものように記事を用意してアップする予定だったのですが、被害の状況をみてコラムを更新する気になれずで、楽しみにされている読者の方にはご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。今週アップする予定だった記事は来週に回させていただきます。何卒ご了承ください。
私は生まれも育ちも神戸です。
阪神大震災の被災者です。震災の時の1月17日は今でもよく覚えています。1月17日になるとテレビで阪神大震災の追悼特集を毎年していますが、トラウマになって放送を見ることができません。ちょうど被災したときは私は高校3年生でした。当時住んでいたところは兵庫区で道路を挟んで山側は火災、自宅は全壊まではいきませんでしたが半壊で住める状態ではありませんでしたので、近くの中学校に避難生活をしていました。
燃え盛る炎の中、母と二人で取るものもとりあえず逃げる間、人々の悲鳴、火災警報器などのサイレンがけたたましく鳴り響く、瓦礫の山、建物の下敷きになって手足だけ見えている方々、血まみれで逃げる人、いくつものご遺体…地獄絵図でした。よく生きていたなと思うくらいです。
被災地では電気・ガス・水道といったライフラインは一切ありません。当時はまだ携帯電話やネットなども発達していなかったので情報は全く入りませんでした。ただただ報道のヘリコプターや報道陣がうるさく、そんなことをするなら救助を手伝ってくれと言いたかったです。食料も配給されましたが、お年寄りと子供優先なのでほとんど当たらず母と冷え切った固いおにぎりを半分にして飢えを凌ぎました。もう思い出したくもない状況で、本当に記憶が飛んでしまっているところもあります。現地の方はおそらく自分たちがどういった状況におかれているのかは把握されていないと思います。私も阪神大震災から何年か経った震災追悼番組で惨状を知ったくらいです。報道の方は被災地以外に情報を提供するのではなく現地の方へ的確な情報を流してあげることがとても大事だと思います。
今回の震災でちょうど私の父親代わりになってくださっているIBMの間宮様は山形出張中、私の経営指南をしてくださっているビスタワークス研究所の大原様は仙台出張中でお二人ともしばらく安否確認ができず気が気でありませんでした。お二人ともご無事とのことで胸を撫で下ろしております。
現地では電気の供給ができないため、透析治療ができなかったり、私のように常時薬を飲んでおかないと命の危険性がある方の投薬ができていないと聞いています。同じ病気を持つ身として、そして医療従事者として心が痛みます。なにか私たちにできることはないかと主人と話し合っております。
自分自身、命にかかわる病気になってから、そして今回の震災報道で感じたことは、毎日をただ平凡に過ごせるということはとてもありがたいことであるということです。毎日、一日一日を大切に生きていかないといけない、そう思いました。
日に日に状況は変わっていきますが、安否不明の方、お怪我をされた方にはお見舞い申し上げます。そしてお亡くなりになられた方には心よりご冥福をお祈りいたします。
まさご歯科口腔外科クリニック
真砂洋・いくみ